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1980年代のアルジェリアのオラン大地震に
『カスバの女』の作詞家大高ひさを氏が100万円寄付

阿部政雄
「日本アラブ通信」編集長
元東海大学国際学科講師
日本ペンクラブ国際委員

 2003年にアルジェリアのレガイアを襲ったマグニチュード6.7という大地震は2200の人命を奪うという大被害をもたらし、日本をはじめ、世界からの救援活動が行われたが、1984年か6年だったろうか、アルジェリアのオランでやはり大地震があったのは、この頃は、まだ、ボランティア活動が今日のように国際的規模では行われていなかったが、この大地震への援助金とし日本歌謡の数々の名作を作詞した大高ひさを氏が100万円の寄付をされたことと、三鬼陽之助氏ほか著名人も賛同されてそれぞれ寄付をされてことが当時の新聞に大きく報じられた。

  私は、昵懇だった当時のハファッド駐日アルジェリア大使にファクスで報告、大高ひさを氏は日本人に愛されている名曲『カスバの女』の作詞家として著名なことなどなどを付記しておいた。そうしたら、電話で大使から帰国5日前にかかわらず「やっと時間が取れたので、大高氏の家に直接お礼に伺いたい、一緒に行ってくれないか」と依頼されたので、井の頭線の松原の大高氏のお宅を大使とともに訪れた。

  この日の交歓の模様は、この席に同席した報知新聞の記者によって、数日後に紙面に大きく掲載されたが、大使が地震への高額な義捐金に深甚な挨拶を述べられた後、大高氏は次のように語られた。
「『カスバの女』は、自分が作詞した歌の中でも大好きな歌で、トエ邦枝はもちろん、石原裕次郎はじめ歌いたがった歌手は多かったこと、100万円は、全くささやかなお礼に過ぎない」と、述べられ、備えられたビデオ・デッキで、トエはじめ、裕次郎らの『カスバの女』などいくつかの貴重なビデオを拝見、大使ともども『カスバの女』を口ずさんだのも懐かしい。

  大高氏は、アルジェリアに行ったことがないのにこの歌の歌詞が作れたのは、ひとえに戦前に見たフランスの名作映画『望郷』とか『外人部隊』の名場面が下敷きになっているが、独立後のアルジェリアに一度夫婦で行ってみたいとおっしゃっていた。ところが優しかった奥さんがその数年後、亡くなられ、電話に出られた愛妻家だった大高さんの声も弱々しかったので心配していたら、奥さんの後を追うように亡くなられてしまった。

  三鬼陽之助氏が義捐金を出されたのも、数年後に、この歌が三鬼さんのほとんど唯一の「持ち歌」であったことを、郷里の名古屋中学の大先輩として東京の敬愛同窓会でいつもパーティの最後に一緒に歌うことになってから知った。同窓会の最後に懐メロの好きな私が、この歌を歌っていると、お茶目だった三鬼大先輩が「阿部君、君だけ歌うなんてずるいぞ、僕にも一緒に歌わせろよ』といって、2人で歌うのがその後数年の行事となってしまった。『カスバの女』の取り持つ縁は広い。

  ところで、作曲家の久我山明は、久我山に住んでいた韓国人の作詞家。いわゆる韓国メロディーの名曲で、演歌の正統な流れを汲むものである。コーランの余韻嫋々たる節回しがアラブの歌謡の基本に立つと同じように、仏教の源流の声明(しょうみょう)が日本の演歌の歌い方の基本になっていることを考え合わせると、生前東京芸大の小泉文夫教授が口癖に言っていたように、アラブの歌謡と日本の演歌の交流や比較研究も大切になってくるのだと考えている。

関連記事:石原裕次郎主演の『アラブの嵐』の背景にアルジェリア独立運動

阿部政雄氏によるその他の記事:「Port of Nagoya」 名古屋港 2005 MAR Vol.137 (名古屋港利用促進協議会発行 事務局tel: 052−654−7837)に、同氏による 「−テロ克服、国際社会への復帰に急浮上する−アルジェリア」 が掲載されています。


カスバの海岸



当時のアルジェリア