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アルジェリア非情の歴史

福田邦夫
明治大学教授

 アルジェリアが国家として誕生するためには、1954年11月1日から62年7月5日までの約7年半もの間、熾烈な武装闘争を経なければならなかった。武装闘争は壮絶であり、約100万人のアルジェリア人が犠牲になったといわれる。だが独立から半世紀を経た現在のアルジェリアは、同国の歴史家バンジャマン・ストラがいうように、「命を賭して独立戦争に参加した若者たちが夢見たアルジェリア」とは似ても似つかない姿になってしまった。
 なぜ、独立の夢は捨て去られたのだろうか?それは独立が現実のものになりつつあったとき、独立戦争の主導権をめぐり、民族解放戦線(FLN)指導部が深刻な分裂状態に陥ったからだ。独立式典が行われた62年7月5日、アルジェリア全土は独立を喜ぶ民衆の歓喜の渦に包まれていた。一方、独立戦争の期間中、獄中生活を送り、釈放されて帰国したばかりのベン・ベラは、自分が選ばれたポストが副首相だったことに不満を抱き、ブーメディエン大佐(当時)とともに軍隊を率いてトレムセンからアルジェに進軍を開始していた。
 ブーメディエン大佐は、アルジェリア国境近くの都市、モロッコのウジダに無傷のまま駐屯させていた3万5000人の精鋭部隊を保持していた。ブーメディエンが率いる軍は、アルジェリア共和国臨時政府指揮下の解放軍をせん滅し、9月6日アルジェに入城、独立アルジェリアの権力を奪取した。「独立の父」として自画自賛していたベン・ベラは軍事力によって大統領に就任したが、2年後の65年6月19日には、かつての盟友ブーメディエン大佐が企てたクーデターによって権力の座から葬り去られてしまった。


開発独裁の時代とイスラーム組織
 ブーメディエン時代は、1965年6月から78年12月まで約14年間続くが、この間は、党大会も議会も閉鎖され、秘密警察が徘徊し、厳しい言論統制が敷かれた時代であった。
 ブーメディエンは、近代国家建設を目指し、石油・天然ガスの輸出収益を梃子として重化学工業化政策に取り組んだ。重化学工業化を実現するためには、地下天然資源の輸出収益だけでは足りず、地下資源を担保にして借金に頼って急激な重化学工業化政策を展開した。だが、こうした政策は挫折し、アルジェリアは膨大な対外累積債務を抱え込んだ。さらに70年初頭までは可能であった食料の自給体制は崩れ、90年代には自給率が20%前後にまで落ち込んだ。噴出する社会の矛盾に対して抗議する人々はことごとく抹殺された。
 ブーメディエンの後継者に選ばれたシャドリ大統領(79年2月〜92年1月)は、債務を返済するために国民に耐乏生活を強いたが、86〜88年に産油国を襲撃したオイル価格の暴落により、食料輸入が不可能な状態に陥った。シャドリ政権が発足すると同時に、ブーメディエン時代に弾圧されていたイスラーム諸組織が息を吹き返し、イスラーム過激派のブイアリが武装蜂起したが、ブイアリは暗殺され、軍により鎮圧されてしまった。
 こうしたなかで88年10〜12月に発生したのが食料暴動である。独立後最大規模の食料暴動は、FLNの強権的支配体制に多くの若者が異議申し立てを行い、体制の転換を求める運動に転化した。これに対して軍は非常事態宣言を発し、暴動に立ち上った人々に砲火を浴びせて鎮圧した。この食料暴動を背景として孤立分散状態におかれていたイスラーム運動の主要な4組織が、「イスラーム救国戦線」(FIS)に統一されていったのである。
 経済指標で見る限り同国の経済は危機的状況に陥っているにもかかわらず、FLNならびに軍中枢部を取り巻く特権層はフランスやスイスに豪邸を構え、これ見よがしの生活をしており、多くの人々は食べ物さえも事欠く事態に対して怒りが爆発したのである。失業率も30〜40%で推移している。そうした国家に見捨てられた人々に救済の手を差し伸べたのがイスラームであった。国家や民族の旗を掲げるFLNは、もはや大衆を動員する力はなかった。
 事実、イスラームの旗を掲げるFISは、91年12月に行われた独立後初めての複数政党制にもとづく国民議会選挙で、圧倒的多数を獲得した。FISは全議席232議席のうち188議席、FLNは16議席しか獲得できなかった。だが、選挙結果を受けて、軍はシャドリ大統領を辞任に追い込み、独立後モロッコに亡命していたブーディアフを呼び戻して事実上の大統領である国家高等委員会議長(軍が委員会を設立し、議長に三権を委譲した)に指名した。このとき、歴史家ストラが「第2次アルジェリア戦争」と命名した内戦が勃発したのである。
 ブーディアフは、議長に就任して5カ月後の92年7月に暗殺されてしまった。以降99年4月まで、ゼルーアル将軍(94年までは国家高等委員会議長、94年1月大統領に任命される)がアルジェリアの全権を掌握した。



AQIMのルーツが内戦の10年に
 ブーテフリカが大統領に選出される1999年までの10年間、FISの軍事部隊である「イスラーム救国軍」(AIS)および「イスラーム軍事集団」(GIA)と、政府軍の間で死闘が展開され、政府軍は勝利した。この間の死者は10万人とも20万人ともいわれている。独立戦争よりも長期に及んだイスラームの反乱に対して、政府軍はアルジェリアの全権を掌握し、絶対的ともいえる権力を打ち立てたのである。  独立戦争の最中、フランツ・ファノンは、「アルジェリアの独立は、単に植民地主義の終わりであるばかりでなく、世界のこの部分における癌の種と悪疫の源の消滅でもあるのだ。アルジェリア領土の解放は、人種主義と人間搾取に対する勝利宣告である。それは、<正義>の無条件支配の始まりを告げるのだ」と述べたが、アルジェリアの現実は、ファノンの予言を無残にもうち砕いた。  ブーテフリカ大統領は、FISをはじめ多くの武装組織と「和解」したが、GIAだけは和解を拒否し地下深く潜行、サハラ南部に避難して「イスラーム・マグレブ諸国のアル・カーイダ」(AQIM)を結成し、マリ、ニジェールのイスラーム反乱部隊と合流したのだ。そして2007年にはアルジェにある国連事務所爆破事件を引き起こした。  ブーテフリカ大統領は、国際市場における資源価格の高騰を背景に債務を返済し、民営化を全面的に推し進めている。だが民営化の名のもとに国営企業を譲り受けたのは、FLNと軍中枢部に陣取る特権的階層である。同国の経済構造は、1970年代から現在まで変わっていない。輸出収益の97%は依然として石油と天然ガスであり、貧富の格差は日を追って拡大し続けている。独立の理念が実現されるまでイスラームの反乱は続くのだろうか。


ふくだ・くにお
1945年生まれ。経済学博士。国際貿易論、マグレブ政治・経済論を専門とする。マグレブ関連では著書に『マグリブへの招待』(大学図書出版、2010年)、共著論文に「ジャスミン革命とアラブの春」(藤田和子・松下冽編集『新自由主義に揺れるグローバルサウス』ミネルヴァ書房、2012年)など。


※この記事は日本アラブ協会発行「「季刊アラブ No.144 2013年春号」」の許可を得て転載しています。